第1回「医療技術者からワイン造りの世界へ」
掲載日:2024年1月16日
田口「本間さんはなぜワイン造りの世界に入られたのですか?」
裕康「もともと僕は札幌の病院で16年くらい臨床検査技師の仕事をしていました。20代の頃から僕も妻もワインが好きで共通の趣味でした。2人とも好きなので国内や海外のワイナリーを一緒に見に行く機会もありました。見ているうちに栽培や醸造にも興味が出てきて、自分たちでやろうというところに至りました。」
ワイナリーが集積する仁木町で夢を膨らませて
裕康「10年くらい前、最初はここ仁木町のお隣の余市町で土地を探していたのですが、当時はあまりいい土地がなくて。(丘の上を指して)あそこに仁木町で一番大きなワイナリーの仁木ヒルズさんがあります。当時、この山の一帯、旭台という地域になるんですけどもワイナリーを集約しようと仁木町が動いていて。すごくいいことだなと思いました。」
田口「仁木町としてワインに力を入れようとする動きがあったのですね。」
裕康「その当時、仁木町にワイナリーは1軒しかなかったのですが、集積することでワインツーリズムも組みやすくなりますし、1軒だけポッと来てやるよりは何軒も集まった方が仁木町のワインのブランディングもしやすくなるだろうと思い、ここに決めました。それに、北海道で果樹の産地というと『余市か仁木か』っていうぐらい、仁木町はフルーツで栄えた町なので、間違いなくワイン用ブドウも育つだろうと思いました。」
田口「ワイナリーを集約させる計画があり、更に果樹に向いている土地。条件が揃ったということですね。」
整地して9年目の畑
この区画を選んだ一番の理由
田口「いくつか候補があった中でなぜこの区画を選ばれたのですか?」
裕康「一番の理由は日当たりです。この下の畑が南西向きで、その一つ上の畑はほぼ真南に向かって畝を切っているので、この地域は一番日当たりがいいし雪解けも一番早いのです。」
耕作放棄地を美しい斜面のブドウ畑に
田口「ブドウ畑になる前、ここはどのような土地だったのですか?」
裕康「ここはもともと耕作放棄地でした。今はこんなに綺麗な斜面になっていますけど、当時は全然こんな綺麗な斜面ではありませんでした。10年近く放棄地になっていたので、地形もわからないぐらい荒れた状態で、雑草も追い茂ってました。整地するのにちょっと費用もかかりましたけど。」
(つづく)
この記事の著者 / 編集者
田口あきこ(日本ワインなび編集長)
ホームパーティが好きなことから、より良いおもてなしをするためにワインを学び始める。
2015年 ワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』の講師に抜擢。
2018年 ワイナリー経営者を育成する学校『千曲川ワインアカデミー』にてブドウ栽培・醸造・ワイナリー経営について学ぶ。
2020年『日本ワインなび』を開設。
2021年 JETROに附置する農林水産省・食品の輸出・プロモーション機関の事業で日本ワインの認知業務に携わり、海外向けに日本のワイナリー紹介記事を執筆。
2024年より千曲川ワインアカデミー倶楽部公式HP『生産者ストーリー』執筆。
同年 北海道余市町登に3.4haの農地を取得し、vineyard開設中。
日本ワイン検定出題作成委員
LDV日本ワインLover講座主任
・ワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』講師紹介ページ
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