第1回「消防士からワイン造りの世界へ」
掲載日:2023年4月3日
テールドシエルのブドウ畑にて(2022年10月撮影)
田口 桒原さんは栃木県のココ・ファーム・ワイナリーで約20年経験を積んだ後、テールドシエルワイナリーの醸造責任者に就任。桒原さんが手掛けるワインは大人気で入手困難な状態ですね。人生の岐路にある読者の方々にとっても、人生を開拓するよき道しるべになると思いますので、本日はそのはじまりの時代からお話を聞かせてください。
きっかけはボランティア活動
桒原 僕は地元の高校を卒業した後に消防士になりました。19歳の時、市役所の職員としてこころみ学園(※1)の園長の講演会を聞きに行く機会がありました。それまで、講演会で誰かの話を聞いて感動したことは殆んどありませんでした。
知的障害者の方たちが一人の農家としてブドウを栽培してワインを造っていると聞いて、一度ボランティアをしてみたいと思いました。その後、実際にブドウ栽培などのボランティアをやらせてもらいました。
田口 ボランティアに参加したことがワイン造りの世界に入るきっかけになったのですね。ボランティアはどれくらいの期間続けていたのですか?
桒原 3年くらい続けていたのですが、ボランティアをやっていた時にたまたま消防署の人が消防点検にきて、何をやっているんだという話になり、ボランティアを辞めようかなと考えるようになりました。
運命を分けたドラマチックな一日
桒原 消防にも集中しなくちゃということもあり、辞めることを話そうと思った日がありました。ブルースさん(※2)に話があると言ったら、『私も話したいことがある。』と言われて。
田口 その日にブルースさんもたまたま桒原さんに話したいことがあったということですね?
桒原 はい。『栽培は今、一人しかいないから入ってくれないか?』と言われて。辞めようかと思っていましたが、ブルースさんがそう仰ってくれたのも何かのタイミングと思いこの世界に入る決意をしました。それに、ワインというのは気候や土壌も大事だけど、知的障害者の方たちの仕事がワインの味わいになり、本物のワインを目指しているココ・ファーム・ワイナリーの姿勢にも感銘していました。僕もその一員になりワイン造りを志したいと決意しました。
田口 辞めようと話そうと思っていた当日にそんな話があるなんて。桒原さんはもともとワイン造りの世界に入る運命だったのだと思えてしまいますね。
(つづく)
※1 指定障害者施設こころみ学園…1950年代、栃木県足利市の特殊学級の生徒たちと川田昇氏(後のこころみ学園 園長)が山の急斜面にブドウ畑を開墾。1969年、そのブドウ畑の麓にこころみ学園がスタート。重度の障害のある方がともに暮らしながら、ブドウ栽培やワインの仕込みやビン詰作業に従事している。
※2 ブルース・ガットラヴ…カリフォルニア大学デイヴィス校醸造学科卒業。カリフォルニアの数々の著名なワイナリーを経て、ワインコンサルタントをしていた1989年に、ココ・ファーム・ワイナリーのワイン造りに参加するため来日。1989年よりココ・ファーム・ワイナリー取締役就任。2009年より岩見沢市10Rワイナリー代表も兼任。
参考:有限会社ココ・ファーム・ワイナリーウェブサイト
https://cocowine.com/about_coco
この記事の著者 / 編集者
田口あきこ(日本ワインなび編集長)
ホームパーティが好きなことから、より良いおもてなしをするためにワインを学び始める。
2015年 ワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』の講師に抜擢。
2018年 ワイナリー経営者を育成する学校『千曲川ワインアカデミー』にてブドウ栽培・醸造・ワイナリー経営について学ぶ。
2020年『日本ワインなび』を開設。
2021年 JETROに附置する農林水産省・食品の輸出・プロモーション機関の事業で日本ワインの認知業務に携わり、海外向けに日本のワイナリー紹介記事を執筆。
2024年より千曲川ワインアカデミー倶楽部公式HP『生産者ストーリー』執筆。
同年 北海道余市町登に3.4haの農地を取得し、vineyard開設中。
日本ワイン検定出題作成委員
LDV日本ワインLover講座主任
・ワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』講師紹介ページ
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