第3回「ドイツでの暮らしで学んだこと」
掲載日:2023年2月25日
ドイツで暮らしていた頃の写真(児玉寧さんより提供)
ドイツ人の奥さまとテュービンゲンに移住
田口「寧さんは北海道で奥さまのアニーさんと出会われて、その後ドイツに移住されていたそうですね?」
寧「北海道でアニーと1年くらい一緒に暮らしていて、アニーが日本の言葉や文化を彼女の母国であるドイツの大学で勉強したいということで、その後は一緒にドイツに行きました。」
田口「わざわざドイツに戻って勉強したいというのはよほど日本の文化に興味を持ってくれたということですよね。日本人として嬉しいですね。ドイツではどんな暮らしをされていたのですか?」
寧「僕が住んでいたのはテュービンゲンといういわゆる“街”なんですけど、すぐ隣に森もありました。そこでも余ったものはシェアするという文化がありました。服や靴、要らないものを持っていって、欲しいものがあったら貰う。皆のそういった意識が高い。」
田口「日本でもフリーマーケットはありますけど、あれはお金のやり取りもあるからちょっと違いますね。」
ドイツで暮らしていた家の写真(児玉寧さんより提供)
間にお金を挟むと人と人の関係はなくなっていく
寧「間にお金を挟むと、人と人との関係はなくなっていく。お金での関係になってしまうんです。道具は所有するよりも、使われるべきところにあればいい。必要な人が必要なところに行けばいいんです。」
田口「今は何でも簡単にお金で手に入ってしまう時代ですからね。その分資源を無駄遣いして、更には人と人の関係が希薄になってしまう。考えさせられますね。ドイツではどれくらいの期間、暮らしていたのですか?」
寧「8年間です。お金の部分で大変だったこともあるけど、時間がたくさんあったので、興味があるところに時間を使えたのはすごく良かったです。散歩をしてドイツの時間を楽しむことができました。」
田口「時間を楽しいことに十分使うというのは、簡単そうでなかなかできないことだと思います。日本では週休1日の方も多く、更に残業で忙しいことも珍しくない。そういう人生の時間の使い方、羨ましく思います。お金も多少は必要だったと思いますが、大道芸で稼いでいたということでしょうか?」
寧「はい、大道芸で稼いでいました。北海道で習った大工の技術もあったので家をリサイクルして暮らせるようにして。小さな畑をやっていたので住むところも食べるところもありました。」
田口「寧さんは多才ですね。お金を稼ぐ術もあり、大工の技術も持っている。日本では高校から大学に進んで社会に出る、というのが一般的だと思います。実は、その生き方だと一人で生きていける最低限の術を身に着けられないんですよね。色々と自分に足りていないものを考えさせられます。」
(つづく)
この記事の著者 / 編集者
田口あきこ(日本ワインなび編集長)
ホームパーティが好きなことから、より良いおもてなしをするためにワインを学び始める。2015年にワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』のインストラクター養成講座にて講師に抜擢。
2018年 ワイナリー経営者を育成する学校『千曲川ワインアカデミー』にてブドウ栽培・醸造・ワイナリー経営について学ぶ。
2020年『日本ワインなび』を開設し、編集長として運営を行う。
2021年 JETROに附置する農林水産省・食品の輸出・プロモーション機関の事業で日本ワインの認知業務に携わり、海外向けに日本のワイナリー紹介記事を執筆。
日本ワイン検定 出題作成委員
・ワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』講師紹介ページ
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