第1回「オーストラリアで触れたパーマカルチャー」
掲載日:2023年2月25日
ワーキングホリデーでオーストラリアへ
田口「寧さんはオーストラリア、北海道、ドイツで暮らした経験をお持ちで、2018年に帰国。その後は長野県東御市の児玉家住宅が所有する土地で無農薬のお米や野菜、そして有機農法でワイン用ブドウを栽培しているそうですね。そのはじまりからお話しを聞かせてください。寧さんご自身はこちらで育ったのでしょうか?」
寧「いえ、児玉家住宅(※1)で育ったのは僕の祖父が最後です。祖父は転勤族だったので、全国を回っていたそうです。父はそれがいやだったそうで、僕は横浜の青葉区という一つの場所で育ちました。」
田口「都会で育ったというのは意外です。いつまで横浜で暮らしていたのですか?」
寧「高校までです。高校卒業後は、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。その時は特に農業の目的で行ったわけではないのですけど。オーストラリアではパーマカルチャーやオーガニックの考え方が進んでいましたね。」
オーストラリアにいた頃の写真(児玉寧さんより提供)
パーマカルチャーとは生き方そのものを指す言葉
田口「オーストラリアで進んだパーマカルチャーや、オーガニックの世界に触れたわけですね。パーマカルチャー(※2)というのはサスティナブル農法に近いものですよね?」
寧「はい。農業も食も含めて、生き方そのもののことです。農業や食で言うならオーガニック。それから、お金のやり取りをせずに余ったものをお互いで交換します。現地を旅している時、とあるレバノン人の方がオーストラリアの山を買って自分で家を建てて、小さな畑をやっていました。そこはパーマカルチャーを取り入れている町という感じでした。」
田口「お金のやり取りをしないというのは興味深いですね。そういう世界を間近で経験して、色々と感化されることがあったわけですね。」
寧「はい、自分も(パーマカルチャーの暮らしを)やってみたいなと思いました。」
(つづく)
※1児玉家住宅…児玉彦助氏が明治26年(1893年)に隠居分家のために建設。畑や竹林を含めた敷地は3,000坪、宅地800坪と12棟からなる大きな住宅。国登録有形文化財。
※2パーマカルチャー(Permaculture) … パーマネント (permanent) とアグリカルチャー (agriculture) を組み合わせて、「永続する農業」という意味が込められた造語。人と自然が共存する社会をつくるためのデザイン手法。
この記事の著者 / 編集者
田口あきこ(日本ワインなび編集長)
ホームパーティが好きなことから、より良いおもてなしをするためにワインを学び始める。
2015年 ワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』の講師に抜擢。
2018年 ワイナリー経営者を育成する学校『千曲川ワインアカデミー』にてブドウ栽培・醸造・ワイナリー経営について学ぶ。
2020年『日本ワインなび』を開設。
2021年 JETROに附置する農林水産省・食品の輸出・プロモーション機関の事業で日本ワインの認知業務に携わり、海外向けに日本のワイナリー紹介記事を執筆。
2024年より千曲川ワインアカデミー倶楽部公式HP『生産者ストーリー』執筆。
同年 北海道余市町登に3.4haの農地を取得し、vineyard開設中。
日本ワイン検定出題作成委員
LDV日本ワインLover講座主任
・ワインスクール『レコール・デュ・ヴァン』講師紹介ページ
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